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Tシャツ

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セルジオさんはステージに上がるときに バンドTシャツ、いわゆるバンTを着てライブすることが多い、 というかほぼそうである。 デザインが好きなものはもちろん、 好きなバンドへのリスペクトを込めて着ている節も当然ある。 今回は「こんなバンT着てた」コーナーを 過去のライブ写真を振り返りながらやってみる。 これは「FOUR GET ME A NOTS」っていうメロコアバンドのTシャツ。 SILVER LININGっていうアルバムのツアーで購入した。 ちなみに僕はこのツアーの苫小牧編で共演させていただいた。 フォゲミのTシャツはこれ以外にマジで10枚近く持ってて、 共演させてもらった時に何枚も持っていき、 リハ・リハ後・出番・出番後・打ち上げと、 ことあるごとに持参したTシャツを何度も着替えてたら、 石坪さんとチエさんから「まじでたくさん持ってますね(笑)」って笑われたのを鮮明に覚えている。 これは札幌の「Anthology three chord」っていう 僕と同世代のバンドのTシャツ。 VoのたいぞうとGtのはしづめは同い年。 しかもDrのオメガさんは大学の先輩(在学中、ずっと同じバンドをやっていた)。 そしてBaのケインは元マイアミパーティというなかなかの縁があるバンド。 彼らの2枚目のアルバム「Journey」のジャケデザインは 何を隠そう僕が手がけた! これがその「Journey」のジャケット。チョーチョーかっちょええやろ、エヘン。 これはせるじおさんの『 人生 』そのもの と言っても過言ではない 「銀杏BOYZ」。 2008年くらいの浅野いにおコラボT。 そもそも浅野いにおが描く女の子が好き、 『好き』と『好き』のコラボほど最高のものはない、 デザイン可愛い。 銀杏もたくさんTシャツ持ってたけど今手元にあるのはこれと、 黄色い「GING NANG BOYZZZZZZ」のTシャツと、 2011年くらいの「フォトT」くらい。 第三次のジャケTとか、 僕たちは世界を変えることが出来ないのジャケTとかあったのになあ。どこいった。 元々札幌で活動していた「未完成VS新世界」という先輩バンドの解散Tシャツ。

ジャスコで鬼ごっことか正気か

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高校。 思い返したいような思い返したくないような、そんな記憶。 進学、進路。みんなが悩む関門。 「かなり頭の良い学校」と「少しだけ頭の良い学校」の選択を迫られる。 僕はおそらく内申点的なものが良かったおかげで どちらの高校にも推薦で進めるとのことだった。 「父親の職場が近い」っていう理由で「少しだけ頭の良い学校」の方に進んだ。 単純にその方が学校に通いやすいだろうし、 あとは勉強も周りについていきやすいだろうなぁ、というだいぶヒヨった理由。 この頃からダサいな自分。ほんとによくない。 中学の時にバンドを組んでた奴ら。 メンバー4人とも、見事に進学先の高校がバラバラになった。 学校がバラバラになっても 、ごくまれにドラムの家に集まっては、 「Hi-STANDARD」とか「Hawaiian6」をコピーして遊んだりしてた。 あとは中学の時の友達だった三上って奴がほぼ毎日のように 俺んちに来てパワプロやって帰ってく日々。 音楽の趣味もなんだか合って色々語った記憶。 なつかしいなうん。久しぶりに会いたいし、 俺いまだにちゃんとバンドやってるって言ったらビビるんだろうな、 元気にしてっかな。 高校に入学して最初は、まったくといっていいほど友達ができなくて困った。 困りすぎて笑った。そして焦った。 多分、最初の自己紹介の時に 「バンドやってて」とか「ベース弾くのが趣味です」とかほざいたり、 高校の部活には入部しないで隣町のサッカークラブチームに所属してたから、 完全に「スカしたやつ」っていう扱いだったんだと思う。 イケてる男子グループには一切なじめなかった。 そうやってグループになってつるむのがなんかダサいとさえ感じていた。 特に、入学して早々に イケてる感をむき出しにしてた「渋谷」っていうやつとは、 絶対この高校3年間で友達になることはないだろうな、と勝手に思っていた。 まさかそいつと一番の親友になるとは、この時の自分には想像すらできなかった。 はじまった高校生活。もう最悪で最悪で。 最悪以外の何物でもなかった。 放課後、サッカーするために隣町に向かうためのバスを待ってる間、 自分の席に突っ伏して寝たフリ状態。 根暗男子筆頭。MDプレイヤーを再生。耳元で流れるゴイステの爆音。

ませガキ

小学5年生まで身長が143cmしかなかった。 いわゆる「もやし」みたいな、 ヒョロくて体もよわっちい、そのうえ足も遅い子供だった。 体育の時間と給食の時間が一番嫌いだった。 今では考えられないけど、 マジで給食を食べ切ることができなかった。信じられないほど虚弱だった。 小4から小5にかけて、 なぜか「100周マラソン」と自分で銘打って 毎日昼休みに体育館を100周するというノルマを課した。 結果、 自分でも信じられないくらい驚くほどの急成長を遂げ、 小6で身長が25cmくらい伸びて168cmになり、 足のサイズも24cmだったのが急に29cmになった。 成長痛で死ぬほど膝が痛かった。 けど同時に体力もついて、運動会のマラソンで1位になった。 1年前までビリだった自分が金メダルを貰ったのが本当にうれしかった。 信じられない声変わりが起きたのもこの頃。 低い声は今でもコンプレックス。 急成長を遂げたもんだから、 最初は突然登場したヒーローみたいな感じだったけど、 ずっと人の後ろを歩いてきたせるじお少年は、 クラスのヒーローとしての姿勢をどう保ち続ければいいのか、 その術を知らなかった。 結果、目立ちすぎてる割に気弱なため、 中学に入ってからいじめの対象になる。 いじめといっても程度はそれなりに弱めのやつで、 クラスの中心みたいなやつ(以降はH君と呼ぼう)が現れて そいつがクラスみんながいる前で俺のことを馬鹿にしたり、 変なあだ名をつけて呼び始めたり、 かと思えば無視したりする案外かわいいやつ。 ただ仲良く楽しくやりたいだけだったのに、 なんだか知らぬ間にハブられる時期が続いた。 運動もできて、勉強もクラスで5番以内にいるタイプの人間だった自分。 だけど正直学校は全然楽しくなかった。 中学2年に上がるとH君とクラスが別になったこともあり、 少しづついじめの雰囲気は落ち着き、俺じゃないヤツが標的になっていた。 中2の夏頃になると、 1個上の中3の先輩がバンドをやっているのを うらやましく思ったクラスメイトの中に 「先輩みたいにバンドを組んで文化祭に出よう」というグループが現れる。 僕は別につるむ気はなかったけど、 僕の家は父さんがベース、母さんがピアノを弾く音楽一家だ

3回目の春

バンドを続けるって難しい、そうつくづく思わされた2019年だ。 バンドを辞める、休止する、と連絡が来た。 あとは「活動休止する」ってことをSNSか何かで知って、 こっちから連絡送ったこともあった。そんな1年。 普段飲んだり遊んだりしない、 友達とは言えないのかもしれないけどなんだか気にかけてた。 そんな同い年のヤツが多分いままでの生活のほとんどを費やしてきた、 ずっと続けてきたバンドを休止する、辞める。 それに対しての僕の感情は「つらい」っていうよりは、 「よく決断したな」って気持ちかも。 そして「年とったなあ俺たち」って純粋に伝えたいって思う、皮肉は一切なしで。 まだ叶えたかった目標とか しがみついていた希望とか 数えきれないほど夢見た景色とか。な。 本当に本当にやるせない気持ちだ。 俺が追いつけなかったはずのアイツら、 一緒に戦ってきたアイツら。  バンドを始めたばっかの頃。 先輩のバンドに混ざって、自分より一足も二足も先に、 俺と同世代くらいのバンドたちが輝いていた。 脚光を浴びているのを見て悔しかった。これは正直な気持ち。 みんな成功したかったわけじゃない。 みんな失敗したかったわけでもない。 そもそも成功とか失敗ってなんなんだって思うし、 もちろん、みんな「楽しいだけ」で良かったわけじゃない。 彼らに追いつきたかったけど、 当時の僕はただがむしゃらに、ただただやみくもにやるしか方法を知らなかった。 だから追いつけなかった。いや、本当は追いつく勇気がなかっただけかもしれない。 被害者面してずっと這いつくばっていただけかもしれない。 けどあの頃が楽しかったのは事実だ。彼らを追いかけ続けたあの日々は青春。 学生時代が最初の青春なら、それは間違いなく2度目の青春だった。 いい曲を作っても、いい歌詞を書いても、 バンドは1人では音を鳴らせないのかな。 「続けたくても続けられない」のではなく、 かといって「大人になった」って表現も超嫌いな俺たちにピッタリの言葉なんてないな。 偏屈な自分はこの歳になっても何かやらかしてみたい、 ってまだまだやり残したことだらけだからさ。 もう少し。あと少しだけやってダメならまぁしょうがないかと。 なんか今度ふらっと会っ

あれもこれもそれもひとり

最近は自分以外のことや 自分以外も関わっている物事に対しての責任が増え続けていて、 良くない方向に脳みそが回り回って胃がキリキリしてしまっている。 「こんなに自分って余裕ない人間だったっけ?」 って、凄い重たい何かを常に抱えているようなそんな感じが続いている。 適当にスマホ見てるだけなのに、 自分にほぼ関係ない何でもないことに対してすら、 一喜一憂してしまっている自分が悲しくなったりする。 楽しかったこと。達成感?満足感? こんなにしんどいことを乗り越えないと手に入れられないものだったっけ? 昔はもっとスマートに、軽快に乗り越えてなかったっけ俺。 もっと何に対しても楽観的だった頃は、 怖いもの知らずでなんでもかかってこい、 って無敵状態だったかもしれないって思い返してる。 怖いものなんて虫とおばけくらい。いや割と怖いものあるやん自分。 誰も何にも悪くないし、 もう自分自身の卑屈さに呆れっぱなしだ。 欲しい服も、靴も、楽器も、なにも買えない。それにただただ甲斐性なし。 ゴールがない迷路をグルグル回り続けておしまい。いい加減にしたい。 ってこんな文章書いて下書きに置いておいて、 改めて読み返した時に「自分よわっちいなあ」と、感じました。 自分の弱さをひけらかして何が楽しいのか。 どんどん新しいことが決まって、 楽しみな案件が増えてきてこれからって時になに弱ってんの自分、って。 頑張ります、まずは日々を。 まずは何にもない日々を。 何かが起こる日々のために、待っていた未来を掴むための日々を。 皆さんも頑張りましょう。人のことよりまず自分の事しっかりします。

右向け右で左向く学生だった

こないだ、大阪での出来事。 高架下。 見晴らしが良いとは言えない交差点。 赤だったので僕は信号が切り変わるのを待っていた。 たぶん10人くらい待ってる人が居たと思う。 後ろの方から女性が自転車に乗って走ってくる。 子供を乗せるカートが後ろに付いた大き目の自転車。 おそらく子供は乗っていなかったと思う。 その女性は車が走っていないことをいいことに、 何食わぬ顔で赤信号を無視して横断歩道を走る。 その瞬間、 30mくらい離れたところから 横断歩道を見張っていた警察が 「ピーーーーー!」 と大きなホイッスル音を鳴らした。 それに驚いた自転車の奥さんは横断中につまづき、自転車は倒れた。 すぐに自身で起き上がることができ、 車通りがそこまで多くはなかったので事故なども起こらず、 「すいません、すいません」とペコペコしながら、 起き上がっている最中に青に切り替わった横断歩道を走り去っていった。 もちろん信号無視した女性が100悪いんだけど、 警察はなんでそんな遠くから警備していたのだろう。 横断歩道の前で警備していたら、その女性が通る前に注意できたのではないだろうか。もしくは「警備している」と気づき、渡るのをやめていたのではないか。 渡ってしまっている最中に威嚇のように鳴らすホイッスル、 いったい何の意味があるのだろう。 その女性が完全に悪いのは明白なんだけどさ、 なんだか最近、そういうモヤモヤがとても多い。 気持ちの良い日常であってほしい。 けどやるせないことばかりなのが現実で。 僕に何かできることはないだろうか、って 思いながら最近は生活をしています。 自分のことをしっかりするのに精一杯のクセしてさ。 偽善者すぎてしんどくなってばっかだ。 ダメな大人だ。