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1月, 2020の投稿を表示しています

平々凡々

ものすごく空が高く感じた2日間だった。 窓から広がる広大な平野とたくましくそびえる山のように強く優しくなりたかった。 今も昔も変わらないもの、大切にしたい気持ち。 明日の俺はどっちだったっけ。 2020/1/17 21:00 新宿バスターミナル発弘南バスにて青森へ出発。 近くのマックで買ったコーヒーを片手に。 気がかりだった楽器預かりは、バス下のトランクに詰め込んでもらった。 道中はずっと眠れず、耳にはイヤフォン。 オリエンタルラジオ中田さんのYouTube大学を垂れ流しながら。 2020/1/18 8:00 高速を走るバスに揺られて約10時間。 五所川原駅に到着。慣れ親しんだ駅。 高校時代まで住んでいた青森。5年ぶりの青森。妹の結婚式ぶりだった。 俺の地元は駅がない。バスも数本しか走っていない。めっちゃど田舎の村。 朝早くから親が車で迎えに来てくれた。感謝。 家に向かう途中、母校の木造高校(きづくりこうこう)の校舎向いにある 『あけび屋』というパン屋さんに寄った。 高校生の時に何度も利用したお店だ。 からあげパンとカツサンドが無かったのは残念だった。 9:00 家に到着。 僕の知っている実家はそこにはなかった。 完全リフォームされていたのだ。妹夫婦がやってくれたらしい。 すげぇや、 てか長男の俺は一体なにやってんだ…。 昔からそうだった、いっつも妹に甘えて生きてきた、 なんかあると助けてもらってた。いまだに。情けなさを感じるな。 迎えてくれたのは、そんな妹の娘。いわゆる姪っ子。 そしてまだ生後間もない甥っ子。俺が会わないうちに姪っ子は4歳になっていた。 時の流れというのは残酷だ、早すぎる。老いを感じる。 10:00 久しぶりに行きたかった母校の小学校へ。 母校に向かうまでの道のりさえ忘れてしまいそうになっていた自分が情けなかった。 少子化に伴い、今は廃校となっていた小学校。 だが内装はそのままの状態で残っていたので中を見せてもらった。 その何もかもが懐かしかった。 あるあるだけど音楽家たちの絵が飾られていた音楽室。 今はその絵も外されていた。 校内放送で使った放送室。設備だけはかなり本格的なんだよな。 放課後の遊び場だったコンピューター室。マルカディアってゲー

しょっぱい青春の日々はもう戻らない

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GOING STEADYというバンドに出会ったのは僕が中学2年、14歳の夏。 「青春パンクやろう!日本語パンクやろう!」 って友達が文化祭の有志バンドに誘ってくれたのがきっかけだ。 友達はすぐに僕にCDを貸してくれた。 真っ赤なバックに黒い人影が載ったCDと 黒くてなんか鮮やかな花みたいなのが描かれたCDと 2枚貸してくれた。 僕は借りたCDをすぐにMDに取り込み、 パナソニックのMDプレイヤーで狂ったようにどこでもいつでも何度でも聴いていた。 「BOYS&GIRLS」「さくらの唄」。 最初は何が何だかわからずに聴いてた。 けどいろいろな感情が込み上げてくる荒々しさ、 楽器はヘッタクソだけどなんだか引き込まれるキラキラとした美しさ、 メロディーのキャッチーさ、ストレートな言葉たち。 気づいたら虜になっていたし、 気づいたら「DON'T TRUST OVER THIRTY」の意味を辞書で調べていた。 アルバムのスコアブックを買うと、 中にはTAB譜の他にメンバーのインタビューも書かれていた。 彼らが若い時や当時に聴いていた洋楽について語っていた。 グリーンデイもバズコックスもスティッフリトルフィンガーズも ニルヴァーナもクラッシュも知ったのはゴイステがきっかけだった。 CDショップなんて近所にはない田舎のど真ん中。 チャリで2時間かけてHMVに行き、やっすい海外盤を買い漁った。 「童貞ソー・ヤング」のCDを借り、 「若者たち」のCDを買った。 文化祭でこの曲やって校長先生に怒られた 当時の僕には良さが3%しか分からなかった気がする スカパーのスペースシャワーTVで流れる「若者たち」のMV、 当時の僕には本当に衝撃だった。 「こんな世界が都会にはあるのか」「ライブってこんなに凄いのか」って、 何かをむさぼるように吐き出す姿に憧れた。 そして間もなく、 GOING STEADYは解散した。中2の冬のことだった。 “どうして僕は生まれたの?どうして僕は死んじゃうの?” 「DON'T TRUST OVER THIRTY」の冒頭の歌詞が僕の頭によぎった。 ネットも普及していない不便な世の中だったはずなのに、 彼らの

素晴らしい世界

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猫になりたい。 毎日なにかに追われる社会から消えたい。 誰にも邪魔されずに安らかに暮らしたい。 イッヌでもいいけど イッヌはイッヌでなんだか忙しそう。 猫なら気ままな日々が送れそうさね。 最近は国会中継とゴルフの試合速報をチェックするのが日課になってきている。 こうやって人は老化していくのだなとヒシヒシと感じている。 猫は国会にもゴルフにも興味ねえな。 負けるなオッサン。頑張れ中年。 明日も明後日もステージ上の照明に照らされながら生きていたい。 猫としてステージ上に登りたい。 あ、 やっぱ温泉行きたい。 温泉旅行したい。

辞めるも続けるも自由だ。音楽なんてそんなものなのかもしれない。

この歳になると周りの友達はみんな音楽をやめていく。 昔あんなにギラギラした目で 「負けへん!!!!!」ってやってた奴ほど、 1抜けたっつって音楽から身を引く。 もしくはスタンス、音楽との向き合い方を変えていった。 いや、もしかしたらスタンスが変わったのは 周りじゃなくて自分なのかもしれない。 上手く進んだか、それとも上手くいかなかったか。 そもそも上手くいくって何をもってだ。知らん。 続けるほど好きじゃなかったのか。 いや、本当は好きだけど好きだけじゃ続けられない生活環境の変化があったのか。 恋人ができたとか、結婚したとか、 音楽より夢中になれるものをみつけたとか、 メンバーが脱けたとか。 辞めるも続けるも自由だ。音楽なんてそんなものなのかもしれない。 僕は大学に入学して、スルスルと軽音楽部に入部した。 4月の時点では20人近くいた同期が1年後には3人になっていた。 飲み会の多いサークルだった。 みんな先輩との会話の中でたらふく酒を飲まされたりしてさ。 それが理由で授業を寝過ごしたりして。 大学の単位を落とすことを危惧して、早い段階で見切りをつけたのかもしれない。 それもまた人生。先輩や同期との関係とか。面倒に感じたのかもしれないし。 辞めるも続けるも自由だ。音楽なんてそんなものなのかもしれない。 ただ僕は先輩とバンドを続けること、部を続けることを決意した。 というか辞める気が全くなかった。 (一回辞めそうになったことがあって、いま振り返ってもめっちゃオモロイ話だからこの話はいつか直接みんなに話したい) 結果的に僕は5年も軽音を続け、 そして5年で大学を中退した。 これに関しては俺は本当に馬鹿だった。 せっかく努力して大学に入学したのに、一留した上に中退。 なんて親不幸な人間だ。本当に恥ずべきこと、反省してもしきれない人生の汚点。 でも、ただ、 この5年で得たものも僕にとっては本当に大きな財産だ。 たくさんの友人・先輩が出来た。 音楽のスキルをとことん磨いた。 磨いたっつってもべら棒に上手くなったわけでは全然なくて。 ただ基礎の基礎の部分は、ベース弾きまくって身に着けた。 幸いにも同期で最後まで残ったヤツ(俗にいう戦友www)は 僕と同じベーシストだった。