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明日は大阪

 中川マサキユの運転で着々と 大阪に近づいている車内でこのブログを書いている。 前の席ではドライバーのマサキユと助手席イワノ君が楽しく談笑している。 イワノ君はいつもオリジナルプレイリストを作ってきてくれて 車内のBGMは常に良い感じだ。 ちなみにこの旅の一曲目はエルレだった。 なんか元気出た。 後部座席の僕の隣にはさくらい。 さっき僕が前の席の背中に付いてる、 飲み物とか置く用のちっちゃいテーブルに携帯置いてONE PIECE見始めたら、 面白がってニヤニヤしながら撮影してた。 楽しそうに撮りやがる。 良い音楽を鳴らしに遠くの街に行くのは、 もう何回目だろうか。 今回は最高になりそうだ、 って移動中、 毎回のように思うのだけれども、 今回は特にそう感じてるのは何故だろう。 俺の足が臭すぎて 車内が酸っぱい匂いで充満したり、 なんだかポツポツ小雨が降り始めてたり、 絶対的に幸先悪いはずなのに、 なんかいい感じだ。 明日の今頃、 美味い酒飲んでいれたら良いな。 そんなことを思ってる。

ペラペラペラオ

マジでありえんくらい超久しぶりの友から連絡がきた。     「のみましょう!」 そいつは山形に住んでる市川という男。 あだ名はペラオだった。 大体7年くらい会ってなかった年下のヤツ。 山形から新幹線で東京に来てた。昔はやっすい夜行バスか車で来てたのに。 身長190くらいあるんじゃないかってくらい、元々デカいやつだったけど、 なんか筋トレしまくっててもっとゴツめな見た目になってた。 腕とか、太ももくらいの太さしてた、オモロ。     あいつのミクシーの名前がペラオだった。  Not yetっていう 大島優子、北原、さっしー、横山由依の4人組派生ユニットの、 「ペラペラペラオ」って曲からつけたんだと思う。 いまだにその名前で呼ぶ。ウケる。 AKB48のヲタクをやってた頃に、 北原里英推しだった我々は一瞬で意気投合した。 よく握手会の前後に酒を交わした。 東北出身の自分にとって、 山形訛りの後輩との酒の場は、なんか居心地が良かったんだと思う。    新橋の土間土間でヲタク10人くらいでクーニャン飲みまくって、 店のウーロン茶をなくしてゲラゲラ笑いながら、 朝6時にすしざんまいで味噌汁飲みながらグッタリしたのも良い思い出だ。 昨日の話みたいに思い出せる。 ペラオももちろんあの日のことは余裕で覚えてた。   あいつはめちゃめちゃ酒が強いんだけど 、 なんか知らんが更に強くなってた。 「酒飲む前にヘパリーゼ飲むと酔えなくなるので全然面白くないんすよ」 肝臓交換してくれ、って思った。     最近はクラブミュージックにハマってて、 でっかいフェスがお台場であるから遊びに来たらしい。 アイドルヲタクはもうかれこれ全然やってないらしい。 俺が48についてのYouTube動画をUPしたことも知らなかった。  お互い7年も会ってないと色々変わるもんだな、って思ったけど 懐かしい友との時間はあっという間で、 あの頃と同じ空気が流れてた。 また会いてえな。 友達っていいやん。

ベリーウマーバ

こんにちは、久しぶりのブログ投稿です。   9月。 もうすっかり夏も終わりかけ、 すこしだけ気温も下がり始めてきましたが皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。  僕はというと、     今日朝起きてトイレに行くと、 トイレのライトがつかなくて、 (あーー、うわーーー、嫌な予感がする…)と思って、 冷蔵庫とかテレビとかパソコンとか 携帯の充電器とか色々調べたら、   はい、   電気止まってました。 うわー、って普通に声出た。 案の定、水道は止まってなかったのでトイレは出来てラッキーハッピー。     え?てか先週、公共料金は全部払っていたはずなのになんでやねん、 と思って東電に電話したところ、 未払いがきっかけで実は7月には契約が解除となっていたようで、 たまたまその1か月半後にあたる今日がその停止日だったみたいです。   まーーーーじか、 って思ったけど、支払ったことは確認が取れたようですぐに再契約となりました。 電気が止まるって、 交差点のど真ん中で全裸になるくらい情けない気持ちになる。  いやはや驚いた驚いた。   で、電気も復旧して 一安心した状態で普通に家に居たら、 今度は急にピンポーーーンって家のインターホンが鳴って、 何かなと思ってモニター見ると、       向こうには制服姿の警察官…。 え、え、こわ… と思って、とりあえず居留守をつかいました。       いやいや、俺が何をしたっちゅうねん、 なんて思いながらどこかに行ってしまったところを確認し、 5分後くらいに家の郵便ポストの中を見たところ、       ただの巡回、安全確認、見回りみたいなやつでした。 なんやねん今日。 なんやねん。 1日の1/3の野菜を摂ることができる、 みたいな謳い文句のあんかけ焼きそば食べておやすみ。

小賢しい

“小賢しく生きてきた”     文字面だけみるとすげえ賢そうだけど、 口に出すと分かるイヤな感じ。「こざかしい」って言葉。 「こざかしい」。 今の自分と、今までの自分にピッタリの言葉だ。 何をやるにも「上手に」とか「スマートに」とか「器用に」とか、 そんな世界からかけ離れた場所に居て全然上手には生きてこれなかった自分にとって、 「あがきながら」「ズルしながら」「誰かのおかげで」「自力不足で」ずっと生きてきた。   学生時代、サッカーやってた時もそう。 練習が大嫌いで、疲れるのが大嫌いで、どうにかしてズルしてた。 誰よりも練習しないと、当然上手くなんて1mmもならなくて。 どんどん周りとの差がついて、突き放されていって全部イヤになってしまった。 最初は好きでやっていたのに。 何者にもなれない自分がダサかった。   勉強もそう。 ついていけてる時はなんとかかんとか利口に、それこそ小賢しくしのいでいた。 一人勉強が苦手だったし、宿題もいつも後回し。 学習シールみたいなのを貼った一人勉強ノートを提出してごまかして、 それを先生に悟られたり。 自習が苦手だったし、活字を読むのが面倒くさくて朝の読書の時間は読んだフリしてた。 そんなもんだから、学習能力は高校くらいから如実に差が出てきて、 中学までクラスで5本の指に入っていた自分は、高校の終わりくらいになると 後ろから数えた方が早いくらいの順位にまで落ちて行ってしまった。 情けなかった。 こんな自分で申し訳ないって、ずっと思っていた。   一昨年経験したハーフマラソンもそうだ。 4周するコースで、最初の1~2周はなんとかかんとか走ったけど、 3週目の中盤くらいからは「しんどい、もういいや」ってほぼ歩いて「サボって」さ。 練習そこそこにしかやらなかった自分が全部悪いんだけど、 毎回毎回そうやって「後回し」にして、「なんとかなるべ」って、後悔しっぱなしの日々。       そんななかで、なぜか ベースだけはなんか「誰かに言わされて」とかそういう感情無しに、 気づいたらなんとなく触っていた。 中学高校時代、自分の部屋でベンベン弾いて隣の家の犬に吠えられても弾いた。 大学の軽音部室の隣にある機材庫にこもって、 授業に行かずに死ぬほど弾き倒した。 扇風機もクーラーもついてない部屋で、汗だらっだらたらしながら、それでも。   あの時間が何に

生きのばし

 ある男は、ある曲の中で 「今まで出会えた全ての人々にもう一度いつか会えたらどんなに素敵なことだろう」 って歌った。   そしてまたある男は、ある曲の中で 「記念の写真撮って僕らはさよなら、忘れられたならその時はまた会える」 って歌った。   さらに別のある男はとある曲の中で 「あの日あの空拝めるのはあの日の僕らだけ、精々生きのびてくれ」  って歌った。   彼らの歌を聴くたびに「僕もそうだ」って、 何にもわかってないクセして自分自身に投影して、 ただただうんうんと頷いてばかりの中身のない日々だった。  生きていれば何とかなる、生きていれば何か起きる、生きてれば。 「君の夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ、風の強い日を選んで走ってきた」 ってすげえ歌詞だな、って何回だって思える人間で良かった。   やればやるほど分からなくなって、 悩めば悩むほど見えなくなることもあって、 だからこそやめられないんだと思う。音楽。  何にもうまくいかない日も、僕にとっては愛おしい1日。くだらない1日。 ロックンロール、絵日記、ジンロ、粘る部屋。 ワンルーム6万の、日当りしか取り柄のないこの部屋から、スゲーことしたいだけ。   全然関係ないんですけど8月5日でまた1つ歳をとりました。 一切めでたくない、また寿命が短くなった。人生こっから取り返せるんか。

好きを伝える難しさ

 去年の春頃に新しくYouTubeを始めてみました。 https://www.youtube.com/channel/UCUPL4ORBcMXSnOQOyjx-LMQ    「セルジオラーメン営業中」というチャンネル名。 登録者数はこの1年半で500人に届かず、まだまだ弱小校のアカウント。 ただし熱量は高め。 好きなカルチャーを出来る限り情熱込めて話しています。   今まで取り扱ったのは、 andymori、GOING STEADY、ミスチル、トリビアの泉、街の上で、ポルノグラフィティ、チャットモンチー、オッドタクシー、宇宙よりも遠い場所、NOB、タイムリープ系作品、お耳に会いましたら。、山岡家、AKB。   映画やバンド、アニメやアイドルにいたるまで、 どれもこれも自分が学生時代から今にいたるまでの生きてきた過程の中で、 出会ったとても大切な“大好き”ばかりである。  もちろん“大好き”を語るのは楽しいわけだが、 そのまま相手にこの「好き」を伝える難しさというものを強く痛感している。 大概は「改めて復習→原稿作成→撮影→カット割り→素材作成→編集」 の流れで作り上げていくのだが、 この過程の中の「原稿作成」がとにかく大事だと感じている。   伝え方1つ間違えれば【あざとさ】や【不要な見栄】が出てしまったり、 逆に【嫌味】や【嫌悪感】に繋がってしまうこともある。 そのまま“好き”を適切な時間内にパッケージングして提供することの難しさ。 ヒシヒシ。   少しでも多くの人に、僕の“好き”を分かってもらう様に、 そして誰かの好きと重なった時に、一緒に同じ感情を共有する奇跡を得たいから。 最新のAKB48の動画をアップして、 多くの方からのコメントや評価をいただいた際に、 まだもう少し頑張ってみよう、と強く思いました。   次は何を取り上げようか。 何かリクエストなどあれば教えてください。       バズりてえ!

勇者ヨシヒコに出てくるムロツヨシみたいな感じ

今年の僕の目標が 「いままでやってこなかったことを出来る限り挑戦する」でございまして、 ついこないだ、人生で初めて髪を染めた。 なんで今まで染めてこなかったんだろうと考えたけど、 高校は校則が厳しくてまずダメで、 大学時代は少し身だしなみに厳しいコンビニの夜勤やってたのでダメで、 社会人になってからは完全に染めるタイミングを見失いまくってて、 東京来てからまたそういう身なりに厳しい接客業はじめてしまいまして…。   あれよあれよと今に至った。 結果。 周りからの評価は非常に難しいところだ。 半分の人は「似あうじゃん」と言われ、 半分の人からは「不評」である。 人に流されやすいタイプの人間である自分は、 心の中で「うわ、、、うわーーーーーーーー」となっているが、 まあまあ、当分は楽しんでやろうと思っている始末。   てか髪染めて初めて知ったんだけど、 こんなにシャンプーの指通りが悪くなるのね。 朝シャン人間かつめんどくさがり人間の自分は、 時間が無いからって言い訳つけてトリートメントたまにサボるマンだったんだけど、 もう毎日トリートメンたらないと生きていけないやんコレ…、となってる。 髪染めてる人、尊敬する…。 そしてライブハウスで金髪マンに会うと、なんかこっ恥ずかしくなることも分かった。 こないだ大阪でトランジットのよしやに会った時もそうだし、 MOSAiCでオガコのトモくん、ミイのげんちゃんに会った時も。 遅れて入団してきた新人みたいな気分になった。ゲ。 勇者ヨシヒコのムロツヨシ、っていうより また少し、三四郎の相田に似てきた。