ジャスコで鬼ごっことか正気か

高校。
思い返したいような思い返したくないような、そんな記憶。


進学、進路。みんなが悩む関門。

「かなり頭の良い学校」と「少しだけ頭の良い学校」の選択を迫られる。
僕はおそらく内申点的なものが良かったおかげで
どちらの高校にも推薦で進めるとのことだった。
「父親の職場が近い」っていう理由で「少しだけ頭の良い学校」の方に進んだ。
単純にその方が学校に通いやすいだろうし、
あとは勉強も周りについていきやすいだろうなぁ、というだいぶヒヨった理由。
この頃からダサいな自分。ほんとによくない。


中学の時にバンドを組んでた奴ら。

メンバー4人とも、見事に進学先の高校がバラバラになった。
学校がバラバラになっても 、ごくまれにドラムの家に集まっては、
「Hi-STANDARD」とか「Hawaiian6」をコピーして遊んだりしてた。

あとは中学の時の友達だった三上って奴がほぼ毎日のように
俺んちに来てパワプロやって帰ってく日々。
音楽の趣味もなんだか合って色々語った記憶。
なつかしいなうん。久しぶりに会いたいし、
俺いまだにちゃんとバンドやってるって言ったらビビるんだろうな、
元気にしてっかな。


高校に入学して最初は、まったくといっていいほど友達ができなくて困った。
困りすぎて笑った。そして焦った。
多分、最初の自己紹介の時に
「バンドやってて」とか「ベース弾くのが趣味です」とかほざいたり、
高校の部活には入部しないで隣町のサッカークラブチームに所属してたから、
完全に「スカしたやつ」っていう扱いだったんだと思う。

イケてる男子グループには一切なじめなかった。
そうやってグループになってつるむのがなんかダサいとさえ感じていた。
特に、入学して早々に
イケてる感をむき出しにしてた「渋谷」っていうやつとは、
絶対この高校3年間で友達になることはないだろうな、と勝手に思っていた。
まさかそいつと一番の親友になるとは、この時の自分には想像すらできなかった。


はじまった高校生活。もう最悪で最悪で。
最悪以外の何物でもなかった。
放課後、サッカーするために隣町に向かうためのバスを待ってる間、
自分の席に突っ伏して寝たフリ状態。
根暗男子筆頭。MDプレイヤーを再生。耳元で流れるゴイステの爆音。

(俺はお前らとはちがう!全然ちがう!ちがうちがうちがう!)

って心の中で叫びながら寝たフリ。
部活とかに所属してない女子たち4~5人が、
同じ教室内の少し離れた席で好きな男子の話とかに紛れて
バンドの話とかもちょくちょくしてて、
ホルモンがどうとか夏の魔物があーだこーだ言ってて、

「うわ、混ざりてぇ…」

とか思ったりしたけど、
相変わらず気弱な自分から話しかける勇気は0。
てか盗み聞きとかマジ最低だな俺。生き地獄。クソみたいだ。


そんななか、高校に入って初めて、
友達っぽく話しかけてくれた女の子がいた。

「バンドやってたの?自分もバンド好きだから今度1枚好きなアルバム貸してあげるよ!」

って言われて。
貸してくれたアルバムは「藍坊主」の「ヒロシゲブルー」。

今聴いても名盤ズラ


「涙は枯れ果てはしない」
「世界は狂っている、僕たちは夕焼けに影二つ残し世界を殴った」

正直良すぎた。
やばかった。
語彙力なんて必要なかった、とにかく最高だった。

し、それよりなにより、
こんな最高のバンドのCDを貸してくれるような
女友達が出来たって事実が俺の人生にとって史上最大級に衝撃的過ぎた。

あの子、今も元気にしてんのかな。
こうやって16年?越しくらいに
ブログに書かれてて気持ち悪いだろうな、ごめんな笑
その後、23歳で社会人となった俺は
新入社員歓迎会の3次会のスナックで藍坊主の「殴れ」を
全力で「死にたいと君は呟く!」って歌いだした結果、
上司とお店の女の子に思いっきり引かれたよ。笑うよな(笑)
でもいまだにずっと藍坊主は好きだよ。教えてくれてありがとな。



徐々に俺がバンドほんとに好きってことが浸透し始めて、
クラスの男子の中に、中学の時にギターやってた!って奴がいて
「エルレとかアジカンとか聴く?超好きなんだよね~」
とか言われてMDを借りた。
けどうん、当時の俺は正直全然良いとは思わなかった(笑)

当時は

「3ピースバンド最強!!」
「4人のバンドは青春パンク以外許せねえ!!」

っていうクソださ先入観精神の持ち主だったから、
当時の俺には受け入れられない音楽だったんだと思う。

いま思うと非常にもったいないことをしたし、
その後改めて聴き直せばきちんと良い!って思う音楽たちだ。
若い頃の俺はなにしてんだホントに…。
ただその時代に聴いたアジカンの「ソルファ」に限っては、
なぜか当時の俺が聴いても
「かっこよ…いいアルバムじゃん…」ってなってたし、
あとはその彼から追加で借りたTHE BACK HORNが当時の自分には凄く刺さって
「幾千光年の孤独」と「コバルトブルー」を鬼リピしてた記憶。
アジカンやらエルレやら貸してくれた工藤君、
あの時、俺、反応悪かったよな…、ごめんな(笑)


なんだか知らないうちに時は過ぎる。
僕はサッカークラブチームでは万年補欠としてウダウダだらしなく頑張る。
このころにはもう自分にはサッカーの才能が無いってことにとっくのとうに気付いてる。

家に帰るとチューニングの狂いまくったベースを弾く。
弦が錆びまくってることとか弦高がクソ高くて弾きづらいこととかお構いなしに、
HMVでポイント貯めてゲットしたヘッドホンをアンプにぶっ刺して、
鼓膜やぶれるんじゃないかってくらいただただ爆音にして弾き倒す。
掻き鳴らす。
そして夜中はTVゲームしながら深夜ラジオ聴くだけが生きがい!みたいな。
そんな本当に根暗すぎる学生生活。
希望とか未来なんてこれっぽっちもなかった。


何がきっかけだったかは忘れたけど、
たぶんお笑い番組?とか体育のバスケの授業?で意気投合して、
同じクラスの渋谷と急に仲良くなった。
入学当初、あんなに「仲良くはなれない」と
イメージの中で断言しきっていたヤツとだ。

友達になってからは毎日のように体育館でバスケしてた。
日中夜関係なしに。
ひたすら3ポイントとレイアップの練習、バスケ部でもないのに。
当時のNBAの情報とかに詳しいのは彼が原因。
レイアレンみたいな3ポイントシューターに憧れてた。

その後、一緒にM-1予選出ようや!って話になって、
外崎ってやつと井澤ってやつ誘って
みんなで予選までにネタ考えて漫才しよ!って熱くなってたけど、
気づいたら地方1次予選の受付〆切が過ぎてて出られなかったり(笑)

あとショッピングセンターで鬼ごっことかかくれんぼしたり、
ゲーセンで床に落ちてる数枚のメダルを拾ってどこまで枚数増やせるかやったり、
まぁアホだった、うん。
鬼ごっこはさすがに怒られたな、かくれんぼはギリギリセーフだった。

こいつとは友達にならねぇだろうな、って奴ほど友達になる説。
信じられないくらい仲良くなったし、
もはや高校生活アイツとの思い出しかないんじゃないか?
くらい遊んだけど、大学進学して自分が北海道行ってからは
2~3回くらいしか遊ばなかったな。


大学進学をきっかけに北海道へ行く。

青森に帰省する頻度が徐々に徐々に減っていき、
中学高校と友人だった彼らから連絡が来ることも
比例するように次第に減っていった。
自分が大学入学した年に、
入部するつもりだった演劇部サークルが廃部になって、
なぜか廃部だと知ったその帰り道に道中で誘われた軽音楽部に入部することになる。


誘ってくれた先輩の紹介で、
新入生を入部させるための公開ライブに連れて来られた。
トリのバンドがラストの曲の後半ギターアンプの上に登ったまま演奏し、
最後の最後でぶっ倒してしまう。
その先輩に対して、演奏が終わった直後に他の部員が
「あーーーーあwwww」って声をそろえて笑い合ってた。
ライブハウスとかじゃなく部室を使ってのライブ、
しかも新入生数名しかお客さんがいないようなそんな状況なのに、
アンプを倒しちゃうほど感情むき出しの演奏する先輩、
そしてそれを笑ってあーあ!って言える、そんな部が最高だと思って入部を決めた。
ちなみにそのジャズコはもちろん部が部費をはたいて購入しているもの、
演奏も死ぬほどエモくていまだに鮮明に憶えてる。
emoっていうジャンルに初めて触れた日。
the judgement store、最高の先輩だ。


俺はライブとか頑張りすぎて大学は中退したけど
たくさんの経験・繋がりがきっかけで大学を辞めてからもバンドは続けた。
バンドやってた時に作り続けていた
ライブポスター・告知フライヤーのデータを大事に保存しておいてたのが功を奏し、
広告代理店にそれらをまとめて送ったら採用が決まり、
無事に就職した。

でも、それでもやっぱりバンドはやめられなかった。
なんとなく未練があった。
その後、自分が主導で動いていたバンドが活動休止になったけど
そのタイミングで誘われたマイアミパーティに加入する。


ある日のことだ。
マイアミパーティが旭川でライブがあって、
そのライブ後に、急に知らない番号から電話がかかってきた。

恐る恐る電話に出ると、
電話の先には高校の時の友達だった外崎で、
話を聞くといま渋谷と2人で飲んでるらしかった。
飲みの場で、たまたま俺の話になったらしい。
高校卒業して10年。10年間全然会ってなかった2人からの電話。




正直、嬉しかった。

一瞬であの当時の気持ちというかなんかそういうのが突然蘇ってきてさ。
高校卒業してから、渋谷は結婚して子供もできてた。
実はちゃんと結婚式の招待状も届いてたんだけど、
なんかいらん理由色々つけて欠席した。
親友の結婚式、ちゃんと出れば良かったって後悔だけが残ってた。
おめでとうって、自分の口で伝えたかったから。

「いつ帰ってくる?帰ってこい!飲もう!」ってさ。
10年越しの会話。俺がバンドやってることもちゃんと知ってた。
俺は彼らが今どこで何してるのかも知らなかったのに。
知ってくれていた。情けなかった。
でも、「応援してる」って力強く話してくれた。なんだかこみあげるものがあった。




2020年1月、青森でライブをする。
僕が高校までの18年間住んだ故郷だ。
そしてライブ会場の弘前Mag-netは来年2020年の3月をもって閉店するそうだ。
青森にいた高校時代、
何度か好きなバンドのライブを見にこのライブハウスに通った。
俺が「バンドってホントに最高だな!!!」
って最初に強く感じた場所が弘前マグネット。

心を込めて弾こうと思う。10年ぶりの青森で。



あの時の友達は来てくれないだろうな、多分さ。
でも会えたら嬉しいな、くらいの気持ちでいます。
1/19、日曜日、いろんな人に連絡してみよう、かな。

コメント

このブログの人気の投稿

セルジオさん

ベリーウマーバ

明日は大阪