ませガキ

小学5年生まで身長が143cmしかなかった。

いわゆる「もやし」みたいな、
ヒョロくて体もよわっちい、そのうえ足も遅い子供だった。
体育の時間と給食の時間が一番嫌いだった。
今では考えられないけど、
マジで給食を食べ切ることができなかった。信じられないほど虚弱だった。


小4から小5にかけて、
なぜか「100周マラソン」と自分で銘打って
毎日昼休みに体育館を100周するというノルマを課した。

結果、
自分でも信じられないくらい驚くほどの急成長を遂げ、
小6で身長が25cmくらい伸びて168cmになり、
足のサイズも24cmだったのが急に29cmになった。

成長痛で死ぬほど膝が痛かった。
けど同時に体力もついて、運動会のマラソンで1位になった。
1年前までビリだった自分が金メダルを貰ったのが本当にうれしかった。
信じられない声変わりが起きたのもこの頃。
低い声は今でもコンプレックス。


急成長を遂げたもんだから、
最初は突然登場したヒーローみたいな感じだったけど、
ずっと人の後ろを歩いてきたせるじお少年は、
クラスのヒーローとしての姿勢をどう保ち続ければいいのか、
その術を知らなかった。


結果、目立ちすぎてる割に気弱なため、
中学に入ってからいじめの対象になる。
いじめといっても程度はそれなりに弱めのやつで、
クラスの中心みたいなやつ(以降はH君と呼ぼう)が現れて
そいつがクラスみんながいる前で俺のことを馬鹿にしたり、
変なあだ名をつけて呼び始めたり、
かと思えば無視したりする案外かわいいやつ。
ただ仲良く楽しくやりたいだけだったのに、
なんだか知らぬ間にハブられる時期が続いた。


運動もできて、勉強もクラスで5番以内にいるタイプの人間だった自分。
だけど正直学校は全然楽しくなかった。
中学2年に上がるとH君とクラスが別になったこともあり、
少しづついじめの雰囲気は落ち着き、俺じゃないヤツが標的になっていた。


中2の夏頃になると、
1個上の中3の先輩がバンドをやっているのを
うらやましく思ったクラスメイトの中に
「先輩みたいにバンドを組んで文化祭に出よう」というグループが現れる。
僕は別につるむ気はなかったけど、
僕の家は父さんがベース、母さんがピアノを弾く音楽一家だったから
少し意識はしてしまっていた。
が、そういうのに「率先して加わるグループ」と
「いけてないグループ」のどちらにも属さない、
ちょうど中間位の中立的な立場にいた自分はそのバンドに誘われることはなく。
そのグループのベースに選ばれたのは紛れもない、
僕を中1の時にいじめの対称にしていたH君だった。



中学2年の秋頃。
H君は関東の学校に引っ越すことになった。
突然のことでみんな驚いていた。
H君の父が自殺したと、後から誰かに聞かされた。



彼の家はクリーニング屋をやっていて、
経営が厳しかったのも原因ではないかと子供ながらに悟った。
俺をいじめていたH君、バンドのベーシストに選ばれていたH君。
彼が学校を去ったことよって、
なぜか俺は一気にクラスの中心になり、
バンドでベースを弾くことになった。
親がベースを弾けることは、小さな村の学校だったからなんかみんな知っていた。
けど実際俺はベースなんて弾いたこともなければ、
親のベースに触ったこともほぼなかった。



僕がベースを弾くことになったきっかけは、いじめてたヤツの父親の自殺だった。



すぐにベースの魅力にとりつかれてひたすら弾く日々。
「B-DASH」というバンドの「炎」って曲を暗譜して弾けるようになり、
「ガガガSP」ってバンドの「線香花火」って曲で初めて耳コピとオルタネイドピッキングっていう上下にピックを動かして弾くやつを知った。
「GOING STEADY」の「STAND BY ME」と「星に願いを」って曲でゆったりとした曲の良さを知り、
「ロードオブメジャー」と「175R」のメロディの良さにワクワクしていた。

「THE STAND UP」と「マニ★ラバ」ってバンドで
インディーズバンドが熱いってことを知り、
「太陽族」ってバンドの歌詞の素晴らしさに聴き入った。

昼休みに学校の放送室から「オナニーマシーン」の「I LOVE オナニー」とか
「ガガガSP」の「京子ちゃん」を爆音で流して、
先生に呼び出しをくらってめっちゃ怒られた。

先輩の卒業の餞にと思って友達の家で深夜まで「モンゴル800」のコピーをラジカセに録音してたら深夜2時くらいになっちゃって親にめちゃめちゃ怒られた。

文化祭で「童貞いい!!!万歳いいい!!!!」って叫んで寝てた校長先生が飛び起きたりもした(後にバンドメンバー4人のうち、おそらく俺だけが童貞だったことを知る、いまどきのガキはみんなマセてる)。


思い出って色あせないな。
美化されてるとこもあるけど、何にも変え難い宝物だ。
これが俺の中学時代。



「ドラム缶」。だっせぇバンド名。
メンバーだったあいつら、いまはどこで何やってんのかな。
そしてH君は今もどこかで父さんの分も元気に生きてんのかな。
俺は相変わらずベース弾いてますよ。
なんだか知らんけど17年も続けてしまったよ。





高校編に続く。

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