小賢しい
“小賢しく生きてきた”
文字面だけみるとすげえ賢そうだけど、
口に出すと分かるイヤな感じ。「こざかしい」って言葉。 「こざかしい」。
今の自分と、今までの自分にピッタリの言葉だ。
何をやるにも「上手に」とか「スマートに」とか「器用に」とか、
そんな世界からかけ離れた場所に居て全然上手には生きてこれなかった自分にとって、
「あがきながら」「ズルしながら」「誰かのおかげで」「自力不足で」ずっと生きてきた。
学生時代、サッカーやってた時もそう。
練習が大嫌いで、疲れるのが大嫌いで、どうにかしてズルしてた。
誰よりも練習しないと、当然上手くなんて1mmもならなくて。
どんどん周りとの差がついて、突き放されていって全部イヤになってしまった。
最初は好きでやっていたのに。
何者にもなれない自分がダサかった。
勉強もそう。
ついていけてる時はなんとかかんとか利口に、それこそ小賢しくしのいでいた。
一人勉強が苦手だったし、宿題もいつも後回し。
学習シールみたいなのを貼った一人勉強ノートを提出してごまかして、
それを先生に悟られたり。
自習が苦手だったし、活字を読むのが面倒くさくて朝の読書の時間は読んだフリしてた。
そんなもんだから、学習能力は高校くらいから如実に差が出てきて、
中学までクラスで5本の指に入っていた自分は、高校の終わりくらいになると
後ろから数えた方が早いくらいの順位にまで落ちて行ってしまった。
情けなかった。
こんな自分で申し訳ないって、ずっと思っていた。
一昨年経験したハーフマラソンもそうだ。
4周するコースで、最初の1~2周はなんとかかんとか走ったけど、
3週目の中盤くらいからは「しんどい、もういいや」ってほぼ歩いて「サボって」さ。
練習そこそこにしかやらなかった自分が全部悪いんだけど、
毎回毎回そうやって「後回し」にして、「なんとかなるべ」って、後悔しっぱなしの日々。
そんななかで、なぜか
ベースだけはなんか「誰かに言わされて」とかそういう感情無しに、
気づいたらなんとなく触っていた。
中学高校時代、自分の部屋でベンベン弾いて隣の家の犬に吠えられても弾いた。
大学の軽音部室の隣にある機材庫にこもって、
授業に行かずに死ぬほど弾き倒した。
扇風機もクーラーもついてない部屋で、汗だらっだらたらしながら、それでも。
あの時間が何にも代えがたい時間だった。
これなら自分が何者かになれる気がした。
これなら続けられる気がした。
これならずっと前を向ける気がした。
14歳の時に弾き始めた、あの年から早20年。
人生もう少し器用に生きられればどれだけイージーだったか、って思うけど、
このくらいハードモードな方が楽しいからオールオッケー。やってやる。
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