HIGH SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT

マイアミパーティには学生のお客さんがとても多い。

だから少なからず俺らがどんな学生生活を送っていたか気になる方もいるような、
そんな需要を感じたのでいまブログを書いています。

まじで田んぼだらけで、
コンビニもやっと1店舗できた青森県の
超超超超超超ど田舎で高校時代を過ごしたセルジオさんはというと、

「サッカー」「ゲーム」「バスケ」

この3大コンテンツで成り立っていました。ざっくりだけど。
てか「音楽」とか「ベース」はどこいった。

そんなセルジオさんのめっちゃ懐かしいお話を、
つらつら書こうと思う。暇人だけ見て。
まずは高校時代のセルジオさんの1日を

▽ ▽ ▽ ▽ ▽

7:00起床
8:00学校着いて朝バスケ
9:00授業は寝るか漫画読む
11:00早弁
12:00昼休み全部バスケ
13:00授業は寝るか漫画読む
16:00放課後バスケ
17:00バスで隣町へ
18:00サッカークラブユースチームで練習
24:00帰宅、飯、風呂
25:00ゲーム
6:00就寝
7:00起床

△ △ △ △ △

この繰り返し、アホみたいに眠い生活。よい子は真似しちゃだめなやつ。



【サッカー】

小学3年から高校3年まで続けたサッカー。
昼休みに小学校の狭い校庭で、
サッカーの顧問の先生とパス練習をする先輩がかっこよくて憧れたのが始めたきっかけ。

ちなみに僕の父は高校時代野球部の主将だったり
社会人野球やったり野球に青春を捧げた人だったので、
多分僕に野球をやらせたかったんじゃないかな・・・。

村の小さな小学校に通ってたから、
メンバー11人が集まらなくて小学校最後の1年間はサッカー部が廃部になって、
その1年だけ急遽野球部に入部したんだけど、
入部するやいなや父親の熱のこもった応援・サポート、
ポジションがサードに決まってすぐに
ドラゴンズの立浪和義選手のグローブ買ってくれて、
暇なときにバッティングセンターに連れてってくれたり、
いま振り返ると凄かったもんな(笑)

高校に入学して、
サッカー部の先輩とかマネージャーから熱烈なラブコールを受ける。
でも僕は部活の高校サッカーじゃなくて、
クラブチームでサッカーをすることを選んだ。

なんか部活ってヌルい感じがした。
「お前らとは生きてる場所が違う」
って気持ちが強かったのかも。ダサ。全然そんなことないのに。
もしあのとき高校でサッカーやってたらまた違う世界線が広がってた気がする、かな。

チーム自体はエリート集団みたいな感じで
全国大会とかも経験させてもらったりさ。
凄くアクティブなチームだった。
けど練習はつらかったし、自分自身そんなに上手なタイプの選手じゃなかったから、
もしかしたらあの頃が一番人生でしんどかった気もする。
自分の才能のなさに愕然とした。
上には上がいるって、思い知らされた時代だ。

でも、あのときに受けた熱さや思想が今の自分を形成している気もしてる。
我慢強くなったし、あとは体力に自信もついた。
人生あんまり後悔はしたくないけど、
でももし違う人生歩んでたらもっと幸せだったかもな、とも思ってる。




【バスケ】

バスケは高校の時の親友がバスケが好きだったから、ただそれだけの理由。
その頃のNBAの選手とかほぼほぼ知ってる(今はほぼ知らない)。
ちょうど田臥勇太がNBAで活躍したり、
スラムダンクの井上雄彦先生が新しいバスケ漫画「リアル」を連載開始したりしてて
少しブームにもなっていた。

大事な大学のセンター試験の前の日に、
その友達と夜中ずっとBSNBAの試合観戦し
「明日はのセンターは記念受験だ~ウヒョ~」って夜更かししたの、
いまだに振り返るとアホみたいだけど。

朝も昼も放課後もバスケ三昧だった。
アホみたいに3ポイントの練習とかレッグスルーの練習とかしまくってた。
別に大会とかに出るわけでもないから全然意味ないのに(笑)超自己満足。
でも楽しかったな。間違いなく熱中してた。たまに久しぶりにやりたいな。。。


【ゲーム】

夜中から始めて朝までほぼ毎日やってた。
だいたいスポーツゲームかRPG。
パワプロとかウイイレとかNBA LIVEとか、
ドラクエとかFFとか色々。
現実逃避できてたんだろうな、信じられないくらい夢中でやってた。
僕を形成するのは「パワプロ11」と「クロノトリガー」と「ドラクエ5」と「聖剣伝説3」と言っても過言ではない。

明るくなってきたら寝る生活。
マジであの頃は無敵な気分だった(その代わり授業中はほぼ全部寝た)。

ゲームやりながら深夜ラジオも聴いてた。
ニッポン放送大好きだったな。
西川貴教、ポルノグラフィティとか、ロンブー、くりぃむしちゅ~とか。めちゃめちゃおもしろかったな、、、MDに録音してたな、、懐かしすぎ。

今思い返すとあの頃から、僕は東京に憧れを抱いてていたのかもしれない。
「有楽町をキーステーションに全国26局ネットで放送中」って言葉。
田舎で暮らす僕には天空に住んでる人たちのような感覚だった。夢を抱いていた。



【音楽】

もちろん音楽も好きだった。
中学・高校はメロコアと青春パンクばっか聴き漁ってた。
ライブも「銀杏BOYZ」とかlocofrankとか「Hawaiian6がツアーで地元に来たら、モッシュダイブ大好きキッズとして参戦していた。

中学の時に組んでたバンドは、
メンバーみんな高校がバラバラになっちゃって。
だからたまにドラムの家に集まって、
メロコアのコピーして合わせるくらいな感じで楽しんでた。

高校の文化祭、どうしてもステージに立ちたくて。
バンドは無理だったけど急造で友達と2人組デュオ組んで、
KEN YOKOYAMAの「I go alone」演奏したのとか懐かしいなぁ、友達おぼえてっかな、?てかみんな僕のこと覚えてっかな、、、こわ(笑)

同窓会とかあったら出たい・・・このブログ見てたら呼んで(笑)





僕のパーソナルな一面。
需要なさそうな内容ばっかですまん。
が、こんなブログを見てくれる物好きな人がいてくれたら嬉しい。



長々とありがとうございました。
僕から言えることは、
学生生活は「自由」ではないかもしれないけど「不自由」でもないということ。

そして将来が不安な君、大丈夫。
何とかなる、結局。僕もそうだった。


人生ってのは大事な局面での選択を間違えないのが一番重要なんじゃないかな。

別に何度だって間違ってもいいと思う、
間違った先にも得られるものはあるだろうから。
世界は目の前に広がっている光景だけが全てじゃない。

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